小受の世界にいると、妙な隠語が使われていることに気づく。
「本命は九段下でしょ?」
「国分寺の説明会は申し込んだ?」
- 九段下は暁星か白百合
- 国分寺は早実
- 四谷は学習院か雙葉
- 江田といえば慶應横浜
そして、天現寺。
お寺の話じゃない。慶應義塾幼稚舎のことだ。
そんな呼び名、小学校受験に足を踏み入れない限り、縁のない言葉だろう。
少なくとも、小・中・高とずっと公立で育ってきた自分にとっては、別世界の話だ。
ところが、だ。
一度その世界に足を踏み入れると、頼んでもいないのに「お受験アンテナ」が勝手に情報を拾い始める。
お受験界の最高峰。慶応幼稚舎の倍率は毎年10倍超え。
そこを目指すためには生半可な覚悟では幼稚舎の玄関にさえたどり着けない。
5歳や6歳の子どもが参加するには、あまりに過酷で、残酷な椅子取りゲームだ。
そこには子どもの意思なんてない。あるのは親の思惑と、それがぶつかり合って火花を散らす「戦争」だ。
小受(あるいは中受)を目指すなら、一度は読んでほしい本がある。
あらすじ
東京には、決して安易に足を踏み入れてはいけない世界がある。
あなたは、知っているだろうか。
東京の勝ち組女である“港区妻”に、実は純然たる階級があることを。
頂点に君臨するのは、名門出身の何もかもを手にした東京女。
対して、自身の才覚ひとつで港区妻の仲間入りをした主人公・桜井あかり。
そんな彼女が挑戦するのは、女の戦いの総決算・慶應幼稚舎受験。
それは無謀な戦いの幕開けだった――。
これを読んだとき、心臓がギュッとなった。
「これ、我が家も同じなんじゃないか」と。
我が家の「天現寺」
我が家が目指したのは、「天現寺」ではなかったが、競争が激しい難関校だった。
なぜ、あんなに必死だったんだろう。
「子どものため」
そう言えば聞こえはいい。
でも、この本を読みながら自分に問いかけたとき、思い起こされたのはもっと別の感情だった。
自分のエゴと、よく分からない焦りだ。
「自分に欠けていたものを、変わりに子どもに叶えてほしい」
「この学校に入学して、優秀さを認めてもらうんだ」
結局、自分は学歴コンプじゃないか。
戦争の終結
そんな我が家の「天現寺ウォーズ」はぎりぎりのすべりこみ合格で終わった。
合格チケットがトリクルダウンしてきた。
「もうわたしべんきょうできないの」
と娘が思っていたことは知っている。
でも娘は決して声に出しては言わなかった。
親は知っていたけど
「あともう少しだから」
「ここまで来たんだから」
大人の都合で、蓋をした。サンクコストと卑屈なプライドで途中撤退なんてできない。
合格という結果はもちろん嬉しい。
泣きながら一緒に走ってくれた我が子の手は小さかった。まだまだ幼い。
志望校の名前は、人生の価値を測る物差しではない。 ただの「場所」だ。
そこに通えば人生の成功が約束されているわけではない。問題がすべて解決するわけでもない。
合格はスタートラインで、そこからさらに努力が必要となる。
娘に合った学校かどうかは入学してみないと分からない。
小学校の授業が始まってからは中学に向けての勉強が求められる。しかも高いレベルの学力で。
合格という結果以上に、自分の「卑屈なところ」「見栄」「自尊心」など心の奥にしまっていたものを一度剥き出しにして、それを受け入れたうえで子どもと向き合えたこと。それが、小受で得た収穫だったのかもしれない。
天現寺の戦いは、子どもではなく、自分自身との戦いだった。
それを改めて考えさせられた本だった。
これが正解だったのかはまだ分からないが、正解になるようにこれからも日々努力していくしかない。

