【我が家のおじゅ活ストーリーをNoteで販売開始しました】
サラリーマンパパが娘と私立小学校合格を目指して取り組んだ12のこと&合格までの記録

どれだけ祈っても願っても届かない合格の知らせ

※この投稿は11月の気持ちがどん底の時に書いて公開できず、下書きに保存していたものを更新したものです。

11月が終わり全ての考査が終わった。

どこからも合格はいただけなかった。2校は補欠合格だった。

「不合格ではないのだから、まだ可能性はある」

と自分に言い聞かせる。

しかし、激しく落ち込んだ。

全落ちの可能性があることは想定はしていた。しかし、実際に合格がゼロという現実は、自分のメンタルを容赦なく痛めつけた。

分かっている。お受験にはご縁という壁があることを。

どれだけ仕上がっていようとも、考査当日不調で不合格になるケースを見てきた。

そもそも娘は仕上がっているどころか、面接・試験本番で泣いて、お受験キッズを仕上がっている順に並べると最後尾である。

そんな状態でも合格できる可能性があると思っていたのである・・・いや信じたかった。

そして今、補欠が回ってくるのを待っている。

これがこんなにもしんどいことだったのか。1週間待っても2週間待っても、何の知らせもない。

国立そして慶応初等部の合格発表までは、補欠は大きく動かないと言われていたのでそのタイミングに期待をしていた。

それでも毎日iPhoneを握り締め、マナーモードを解除し、電話が鳴るたびに一喜一憂した。
ベネッセの営業電話だったり、電気ガスまとめませんかの営業だった。やめてくれ。今じゃないんだ。

届かない合格の知らせ。できるのは待つことしかない。それがメンタルに影響し続け、ある日、ベッドから起き上がることができないほどのめまいに襲われた。

その日は、娘の保育園の運動会の日だった。
最後の運動会。ベッドで寝ているわけにはいかない。

お受験の追い込みで参加できていなかった運動会の練習にギリギリで追いついた娘の姿を見逃すわけにはいかない。

しかし、身体に力が入らない。頭を1センチ以上起こすことができない。妻からありったけの薬をもらい、あえて意識をぼんやりさせて身体を無理矢理動かした。めまいで地球がグルグルしていた。

運動会の会場へ車で連れていってもらったが、自分は生きているのか分からないほど、顔色が青い。アバターか。娘の走る姿を見ながらもほとんど記憶にはなかった。それでも動画を撮影した。ブレブレだった。

園のパパ友や知り合いに話しかけられたそうだが、それも記憶にない。

1時間もすると目を開けていることもできなくなり、このままここにいることはできないと、ひとり車に移動し意識を失った。

それから3日間起き上がることができなかった。
4日目には改善し、なんとか歩くことができるようになった。

補欠というなんの確証もない状態に置かれていたストレスによるものなのかもしれない。

その日からお受験とは距離を置いて、子どもと楽しい時間を過ごすことにした。

ブログ、X、スレッズなど、お受験関連の情報をいっさいみないようにした。

それらの情報を見てしまうと
「補欠がいつ回ってくるのか、もうダメなのか?」
「連絡は来るのか?」
「去年は5人補欠が回ったらしいよ」
「娘の補欠の順番は何番目なのだろうか?」

不確定情報に接触し、考えがノンストップで最悪を想定して落ち込んでしまう。

合格をいただいている他の家庭の喜ばしい投稿見て、おめでとうとは思えるが、他人の合格を素直に祝福するほどの余裕はない。狭い心がさらに狭くなっている。

熱望していればいるほど、合格が手に入らなかった時の衝撃は大きい。ガッカリの谷が深すぎて底が見えない。

「もうだめなんだろうな」と打ちひしがれて、眉間にグランドキャニオン位のシワが増えた。

娘が合格圏内にいない事は分かっておきながら、なぜ娘は選ばれなかったのだろうと考えてしまう。理論が破綻している。

合格圏内に娘の能力が達していなかっただけの話である。

しかし、それでも補欠でも合格をもらえたと言う事は、何か娘に学校が期待するものがあったのかもしれない。

補欠だからこそ、割り切ることができない。

これは選ばれなかった者がどん底から、這い上がる気持ちを整理するために書き殴ったものである。

825人中 820位

という模試の結果を見て、印刷ミス?ジョークか?
親のHPを削った。2回連続ぶっちぎりの低得点を叩き出した。
合格はE判定。合格はほぼ不可能という判定だ。

教室でも

「このままでは合格は難しい」
「問題に取り組む態度がよくない」
「10月なのに模試で泣くようでは厳しい。心配です」

と散々言われた。

しかし、「いろいろ言われたけど合格しましたけどねー へへん」

とドヤ顔で報告してやるんだ。

と品性のかけらもないことを考えていた。

合格した時のことを想像して、そうしないと、打ちひしがれて笑顔が減っていた。

何をしていても、合格は回ってくるのか。こないのか?ばかり
仕事していても、本を読んでいても、スタバの新作を飲んでいても節目がち。チョコレートスコーンのチョコだけ食べた。

パソコンで補欠合格の結果を見てから1週間は、その瞬間に置いてきた心を引き寄せることができずにいた。

一校目の面接で泣いて参加を拒否したのが始まりだった。

その反省から二校目はモチベーションコントロールを念入りにして、良い感じの状態で考査に送り出すことができた。

考査から戻ってきた娘は笑顔だった。

「友達できたの」
「お鼻をホジホジしなかったの」

お話の記憶に犬とクマが登場したこと以外はなにも記憶にないそうだ。

これはどっちなんだ。できたのだろうか?きっとできなかっただろうなと不合格の時にためにメンタルリスクヘッジをする。

一校目の不参加事件から二校目に対して恐れすぎていたので、考査に参加できただけでもう満足だった。

パパとママはそれだけで合格をあげたい気持ちだ。

三校目の考査は辞退した。
事前の面接でモジモジし課題をやらなかったため、考査に参加しても、もう合格する可能性はほぼないと判断した。それにすでに娘は考査に参加するモチベーションが無になっていた。

無理やり受験してエネルギーを消費するよりも翌日の試験に備えることにした。

しかし、翌日の考査も参加できず辞退した。

結果、願書を出した五校のうち、二校しか受験しないという結果になった。

これでさらに合格する可能性が下がったなとハラハラしていた。

でもこれが娘の限界だったのだろう。無理をさせすぎてきたのだから、これでよかったのだ。

もし合格がゼロだったら、娘に申し訳ない。

教室で泣いて授業に参加することを嫌がったのに、無理やり連れて行かされ、家でも毎日プリントをする。
親に怒られ子どもからしたら、理不尽なことだろう。

しかし、渦中にいる親はもうやるしかないのだ。つねに焦っているのだ。
「娘のために」と始めた受験が、親の押し付けにすり替わる。親のために「受験していただいている」のにだ。

お受験しなければ、こんなに怒られることもないし、プールやダンス、絵画などもっと楽しい習い事をできたのだろう。

これだけやったのに、合格をいただけないというのは、あまりにも悲しい。

知っていた。娘の能力がまだ考査に耐えられるほど上がってきてないって事を。
それでもなんとか、なんとかなるんじゃないかと、自分を騙して、できるぞ、あなたはできる
を押し付けていた。

お受験して私立小学校へ行くことが人生のすべてではない。

学校はたくさんあるし、まだ小学生にもなっていない。未来の可能性は無限にある。

「親のエゴを押し付けるな」とXで言われたアンチコメントを思い出す。そして落ち込む。

繰り上げ合格の連絡があるのかないのか?

繰り上げにも順位があるだろうし、いつまで待てばいいのか。

なにもしていても、そのことばかり考えてしまう。

他のお受験ママパパも同じように苦しんだのだろう。

模試の結果に一喜一憂し、クラスのおさらいテストで、我が子の順位に喜んだり、イライラしたり。

誰が得しているのか?
目的はなんだったのか?

思考がどんどん拡散、ネガティブに展開していくのが、合格をいただけなかったパパの心理状態である。

そんな時、地元の公立高校から入学前の健康診断の手紙が届いた。

このお知らせを見たときに、この学校へ通うことを現実として考えることができなかった。
教室の模試でお伺いするような、まるで他人事な気持ちで娘と一緒に健康診断に行った。

先生方はみな優しかった。娘の態度やふるまいを評価されることもない。
この学校なら、娘も楽しく通えるのかもしれない。

でも、頭の8割は補欠合格の可能性に引っ張られていて、説明は全く頭に入ってこなかった。

今日は雲ひとつない快晴だった。

デスクから空を眺めていると、電話が鳴った。

画面には連絡をずっと待っていた小学校の名前が表示されている。

手が震えた・・・

電話に出る前に涙が流れていた。

電話中に感情が込み上げてしまった。

うまく言葉を発することができなかった。

丁寧に電話を切った後、感情が落ち着くまでしばらく空を眺めていた。

やったな。娘よ。

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトルとURLをコピーしました