※この投稿は11月の気持ちがどん底の時に書いて公開できず、下書きに保存していたものです。
自宅近くの小学校から就学時健康診断という封書が届いた。
「入学する前に健康診断するので学校に来てください」というものだ。
補欠が回ってこない場合はこの学校に入学するので、娘と一緒に来校。
「合格はいただけないのか…」と補欠に託した希望は日々目減りしている。
校庭で楽しそうに遊ぶ低学年の生徒を見ても
校舎の中に入っても
先生に挨拶しても
ここに娘が通うということを、まだ受け止められない。
「ちょっと健診にきましたよ。たまたま近くを歩いていたから来ただけですよー」
という感覚で、娘がここに属すかもしれないことを受け入れることができていない。
志望校からの細い希望の糸がつながっている状態では余計にその感情が沸いて
「娘は選ばれなかった」
「娘には無理をさせてしまった」
「いや、縁がなかっただけだ」
「お受験はどんなに優秀でも縁がない子がいる」
平時ならそう処理できることも、悲劇の当事者として打ちのめされている自分はつらいんだオーラをまとっていた。
小学校の体育館に入ると、娘は得意の場所見知りを発動して、パパの後ろに隠れ、親子分離されることを察し泣いた。
多くの子供たちが笑顔で「ばいばーい」と親から離れて列に並ぶが、パパから離れることができない娘。
他にも2名、ママから離れられない子がいる。
お受験期間は、「なぜ娘はできないのだろう?」「あなたはできる。頑張れ」「参加したら楽しい」「泣いていると恥ずかしいよ」
などなんとかして教室や模試に参加するように説得していたが、その必要はもうない。
「パパと離れられないなら、一緒にいたらいいんだよ。」
もう評価されることはないから、娘が父を必要とする限り、ずっといたらいいんだよ。
お受験後の今はそんな感情に切り替わった。
早生まれの5歳。
そんなに焦ることはない。
お受験を経て成長したはずの娘だが、これが本当の娘。甘えっ子の娘。お受験期間は無理して頑張って勇気を出して1人で行っていたのだ。
そんなことを考え、体育館の中央で立ち尽くしている父
パパの膝の裏には涙を拭って拒否する娘。
それに察した優しい先生が声をかける。
「パパと一緒がいいのね」
ジャックや理英会とは違う優しい声掛け。
「そしたらお父さんも一緒に行きましょう。」
そうだった、この嫌がりは評価の対象じゃないんだ。もう考査はないんだ。
最初から最後まで、父子離れることなく健診も説明も一緒。
3名の先生と話をした。全員優しく温かい話し方だった。
校舎を後にする時にはもう娘は場所に慣れて、キラキラした顔をしていた。
娘は笑顔いっぱいで、先生方に
「さよならー」
と言った。
先生は
「また、来年会いましょうと」と言った。
「はーい」
と手を振る娘。
娘はどうゆうことなのか、理解しているのだろうか?
ここに来るということは、合格はいただけなかったことを意味する。
その現実を受け入れるにはパパはもう少し時間が必要だよ。娘よ。
大人よりも5歳児のほうがよっぽど立派に前に進んでいた。
ダメな父である。
パパの目に涙がにじんだことは娘が成人するまで伝えないでおこう。
どんな未来になっても、子どもの幸せを願うだけだ。