保育園の卒園式に想う、嬉しさと寂しさと40肩(お受験とは無関係の内容です)

この投稿は、パパから目線の娘の記憶であり、小学校受験には参考にならないことを最初にお伝えしておきます。

今日は娘の保育園の卒園式だった。

この保育園には2歳から通い始め、あっという間の4年間だった。

最初は泣きながらなかなか園内に入らず、ずっとパパの膝にしがみついていた。園に行きたくないと泣く日もたくさんあった。

それでも毎日なんとかなだめて、気分を盛り上げて、時には先生に抱っこされて強制収容されていった。

泣いても、5分もすれば「あれ?私なんで泣いていたんだっけ?」という顔をして楽しく過ごしていた。

園ではたくさんのお友達ができた。英語保育園なので毎日英語のインプットを続けた結果、友達との会話も英語でできるようになった。

年中になると妹が入園してきた。その頃からすっかりお姉さんになり、保育園では小さい子の面倒をよく見るようになったと先生から聞いている。

頼もしくなったものだ。あんなに泣いていた娘がそんなにしっかりするようになるなんて。その一つの理由は小学校受験だと思われる。年中でも子ども扱いはされず、お受験教室で厳しめに指導された。

受験は終わってみれば良い思い出に変わるが、それも合格したからであって合格しなかったならば、また違う感情があっただろう。

卒園式ではイングリッシュ保育園らしく、アメリカ式のガウンを身に付け英語の卒業証書を先生から授与された。

卒園式は英語で行われ、先生の卒業スピーチを子供たちはうんうんと昔を思い返すようにうなずいていた。本当に理解していたのだろうかは不明である。本人は特に緊張した様子はなかったが、卒業の意味をちゃんと理解していないのかもしれない。

それにしても逞しくなったなとあらためて思う。ここまで大きな怪我や病気もなく、健康に育ってくれただけでも感謝したい。

今週で園へ行くのもおしまいとなる。

今日、たまたま娘が忘れ物をしたのでそれを届けに行くと、娘のクラスは公園で遊んでいる時間だった。

最後だからとその様子を見たくなり、公園の外から遠目で子供たちがどんなことをしているのか眺めてみた。

他の人から見ると不審者が園児を眺めているように見えたかもしれない。怪しくない程度にチラチラ観察した。

小さい頃の思い出は現在の様子に上書きされてしまい、どんどん記憶から押し出されていってしまう。

だからこうやって文章で気持ちを残しておきたい。保育園を卒園する事は嬉しいが、1つの区切りで今まで日常だったことが終わってしまうという寂しさもある。

再来週からは小学校が始まる。そしたらまた忙しい日常が始まり、保育園の事は過去のものとして記憶の奥のほうに追いやられてしまうだろう。

でも今、娘が今日公園で遊んでいる姿をちゃんと記憶にとどめておきたい。

パパは娘をとっても甘やかして育てた。娘が甘党になってしまうんじゃない位かと思うほどに。子どもの成長とは親からの自立である。

パパに抱っこをせがんでいた子が、抱っこをさせてくれない日がいつかくる。どんなに重くても抱っこしたいのがパパだ。

だから節目にはパパがどのような感情を持っていたかを娘に伝えていこうと思う。きっとうざがられるだろう。でもパパにとってはどんなに大きくなっても子どもは元赤ちゃんという愛しさがある。父とはそうゆうものなのだろう。

思春期には「パパはウザい」というような傷つきそうなことを言うだろう。そうゆうコメントはノイズキャンセリングしていきたい。

娘よ
卒業おめでとう

さくら
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